自己憐憫


キリスト教の言葉使いで書かれていますが、納得ですね。
自分自身も自己憐憫って何やねん!?それ、ってなるよう
に生きていこう。
また引用文ですが皆さんの何らかの心の栄養になれば幸いです(笑)
書くネタはあるときに放出!

①感謝があると行動が生みだされるが、自己憐憫があるところには停滞が生れる

感謝は行動へのアクセルですが、自己憐憫は行動へのブレーキとなります。
端的に一番よく分かるのは、朝起きるときに「今日はあれが感謝できる。これも感謝できる」と思えば、人は飛び起きるものではないでしょうか。
逆に「あ~ぁ、俺の人生知れたもの。あれも思い通りにならないし、これもダメだ」と考えているなら、どんなに起きようとしても体が言うことを聞かないと思います。
②自己憐憫とは、自分の人生に対して神の計画を認めないこと

自己憐憫という病に掛かっている人の代表的なセリフは「こんなひどい目に遭って私は不幸せだ」というものです。
全ての人に、神のご計画が備えられてあります。
あなたには、あなたへの神の計画が、私には、私への神の計画があるのです。
どんなにひどい目に遭ったとしても、それはこれからの人生で何らかの役に立つためです。
ちょうどヨセフが兄たちの策略によってエジプトに奴隷として売られて行ったようにです。
それはやがてイスラエルにやってくる大飢饉から、ヤコブを初めとしたイスラエル民族を守るという、神のご計画によるものでした。
ヨセフは信仰によって、この試練の背後にある神のご計画をわきまえ、自己憐憫に陥ることなく人生を前向きに生きることが出来ました。
私たちも同じように生きて行くことが出来ます。

③自己憐憫とは「なぜ自分だけがこんな目に遭うのか?」と嘆くこと
ガンになった人が良く言うことに「なぜ自分だけがガンになったのか」というのがあります。
(人間は弱いものであり、そのように思って当たり前であることを前提にお話をしています。)
しかし良く考えてみると、ガンは日本人の死亡原因の第一位を占める病気であり、決して「自分だけがガンになった」訳ではないのです。
同じ病気で苦しむ何百万人という人々が今現に存在するのです。
これは人々の悲しみに気づかず、自分の悲しみだけで心が一杯になっているということです。

どうしてこんなことになるかと言うと、心の目が内側即ち自分だけを見ているからです。
肉体の目は二つあり、二つあることによって物事を全体的・統合的に捉えることが出来ます。
同様に心の目も二つあるのではないでしょうか?
一つは自分を見、もう一つの目で他者を見るのです。
そのようにするとき、心に映る印象風景も違って見えるようになります。

④感謝と自己憐憫は、家計簿の収入と支出のような関係

感謝はプラス勘定であり、自己憐憫はマイナス勘定です。
家計簿を黒字にしたければ、収入が支出を上回るようにしなければなりません。
実際の家計簿を黒字にするには、収入を増やしつつ、支出を減らすしか
ありません。
しかし心の家計簿を黒字にするには、このような方法ではなく別のやり方を使わなければなりません。
なぜなら自己憐憫を減らそうと努力すればするほど、自己憐憫は大きくなっていくという性質があるからです。
ではどうしたら良いのでしょうか?

⑤感謝できることを探す

否定的なものに目をとめると、その否定的な感情は段々大きくなっていきます。
ですから否定的な感情に注目してはなりません。
ではどうしたら良いかと申しますと、感謝できることに目をとめ、一つ一つ感謝を献げていくことです。
そのような営みを続けていくなら、自己憐憫の感情は段々と小さくなっていきます。
これはストレートにそうなると言うことではなく、螺旋(らせん)階段のように段々とそうなって行きます。

◎感謝を献げ続けていくと、気が付くと「えっ、自己憐憫って何?」と言うようになる日が必ずやってきます。
祝福を祈っています。

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