題名のない音楽会


放送今日でしたね。家にはテレビがないので、
まだ放送を見てませんが、楽しかったという声を
たくさんいただきました!

打楽器の世界もリズムだけじゃなく、
様々な可能性にあふれていると
思ってもらえたら嬉しいです。

トスカ


Vissi d’arte, vissi d’amore,
non feci mai male ad anima viva!
Con man furtiva
quante miserie conobbi aiutai.

私は歌に生き 愛に生き
他人を害することなく
困った人がいれば
そっと手を差し伸べてきました

Sempre con fè sincera
la mia preghiera
ai santi tabernacoli salì.
Sempre con fè sincera
diedi fiori agli altar.

常に誠の信仰をもって
私の祈りは聖なる祭壇へ昇り
常に誠の信仰をもって
祭壇へ花を捧げてきました

Nell’ora del dolore
perché, perché, Signore,
perché me ne rimuneri così?

なのにこの苦難の中
なぜ 何故に 主よ
何故このような報いをお与えになるのですか?

Diedi gioielli della Madonna al manto,
e diedi il canto agli astri, al ciel,
che ne ridean più belli.

聖母様の衣に宝石を捧げ
星々と空に歌を捧げ
いっそう美しく輝いた星々

Nell’ora del dolore,
perché, perché, Signore,
ah, perché me ne rimuneri così?

なのにこの苦難の中
なぜ 何故に 主よ
何故このような報いをお与えになるのですか?

むしろミステリー


人は謎に恋をするらしい(笑)
残ったものが本質だそうだ、ワハハ!
どこまでも 追いつめても むなしいだけ
でも真実を 知ることが すべてじゃない
You,liar,liar

人生の目的


今日のキズキ!!!
。。。。。。
人生には、何をするかという考え方と誰とやるかという考え方があります。これは旅も同じでどこへ行くかではなく誰と行くかというものがあります。面白い旅には、もちろん目指したい旅路の方向性というものがあります。みんながどこに行きたいかは理想としている世界があり、自分がもっとも味わいたい場所へ向かって歩みを進めていきます。

しかし時として人間は何か成功を手に入れて結果を出そうとするあまり、行き先ばかりを求めるあまり周りを省みず一人になり孤独になることもあります。誰といくかを思えば自ずから旅の優先順位がプロセスに変わり仲間の存在が何よりも大切であることに気づけるようになるのです。

一生懸命に頑張って手に入れることだけが人生の歓びではなく、現在、いただいている御縁を噛み締めて仲間の存在に気づくこと、その仲間と一緒に生きて暮らしていく歓びに気づくことが人生の醍醐味のように思います。

お釈迦さまの第一の尊者と言われた、アーナンダはあるときお釈迦さまにこう言ったそうです。

「お師匠さま、今日、私はあることで突然、頭の中に閃(ひらめ)きが生じました。私たちは《聖なる道》というのを追い求めているわけですが、もしかしたら、よき友を得るということは《聖なる道》の半ばを手に入れたと言っていいのではないでしょうか」

《聖なる道》というのは、自分の中に悩み、苦しみ、煩悩がなくて、いつも幸せで楽しくて執着がない状態。
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すると釈迦は「アーナンダよ、“良き友”を得られたら、その《聖なる道》の半ばを手に入れたということではない」と言ったんです。

釈迦は言葉を続けて「アーナンダよ、良き友を得ることは《聖なる道》の半ばではなく《聖なる道》のすべてを手に入れることである」。
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同じ価値観をもち、同じ方向に向っている人たちを自分の友人にすることが、実は人生のすべてなんです。

善き仲間に巡り会いその仲間と一緒に人生を歩んでゆくということ。そのこと自体が聖なる道そのものであり、それが人生の幸せを手に入れたことなんだということ。

本来の「友」とは、遊び相手とか遊び仲間というようなものではなくて、人生上の悩み・苦しみ・苦悩・煩悩を少しでも軽減してくれるような“気づき”を教えてくれる人。

それは同時に、自分もそういう存在になることが「よき友」と言われる条件ということでもあります。

そのように教え合うこと、学びや気づきを知らせ合うこと、交歓し合うことが「友」というものなんですね。

またさき


京都でも楽しい音楽会の時間はあっという間。
次のステージに行くのが楽しみになりました!
まだまだ、って嬉しいなー、って気分。 
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技術と芸術性の二つの山に足をまたいで登っていかなければ
という先生の言葉を思い出す。
技術の山を駆け上がっていって、あ、もっと芸術性が欲しいと
思ったら、一度山を下りて、もう一度2つの山に足をかけて
登っていかなければならない、と。
一方だけの山を登るのは早いかもしれないけど。
二つの山に足をかけて登るということは、高くなればなるほど
山の距離も遠くなる、だから股裂けのような状態になる。
一歩上がるのも大変になる、と。

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技術とは何なのか、芸術性とは何なのか、とかは
それぞれのひねくれ度にお任せするしかないけどね。。。。
自分も含めて。

ギリギリで


曲がまとまった。。。かな。ふぅ。
いつもギリギリだなぁ。
自分がいつも楽しいことを探すのって
当たり前なんだけど、なかなか難しい。
口では何とでも言える。
一音を出す、という一打は行動。

言ってることとやってることを一致させるの
人間として当たり前なんだけど、やはりなかなか難しい。

楽器を積み込んで、行って参ります。

どんな道でも


感情に善悪はありません。これは動物ならば全てもっているもので、生存に関連した思考に還元されるものです。
人間の人間たるゆえんというのは、文化的な思考ラインのことです。
自然の神秘。そこにはこの世の美しさ、命の根源というものを感じる、人間特有の感性です。
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心の触れ合い。これこそが人間関係の究極の形であり、我と汝という、絶対に異なる別の存在の相互理解です。
・・・
人は全て孤独であるゆえに、相手の中の孤独、悲しみを感じることで、優しく、大切に思えるんです。
動物への愛おしさ。これは動物を通して、人間の美しい形を見出した時です。無心に自分に甘える姿を見て、愛情のつながりを見、感謝の心を見出す。恩義の美しさを見る。
知人への悲劇。これは困っている大切な人間の力になりたいという、恩と縁の思想のもっとも確実に現出した形です。
全て感情ではなく、人類が築き上げてきた、文化というものです。
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つまり、人間はその思考を他者に向けた時には文化の体現者になり、自分へ向けた時は動物的な感情になると。価値ある行動をし、美しい生き方を目指すなら、常に外を向いていなければならない。外の大切なもの、美しいものに目を向けていきるのが、人生の正しい道です。

京都に向けて


楽しいだけなんてない!


苦楽を共にしないと、人生は味わえない。
この人のためにしなきゃいけない
そうまでも思うことで愛につながる
・・・・・・
精神と時の部屋に。
最近新しい歌を発見してないので、
作詞しようかな(笑)
曲ばっかり作ってると言葉が欲しくなるね。
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dear deer dia


寒いような暑いような一日
風邪などひかれませんよう。

毎度の如く、曲作りには苦心してます。
粘っても睨んでも出てこないときは出てこない
メモを一個ひねり出すだけで終わってしまう時も。

打楽器奏者・マリンバ奏者、パフォーマーとして活動する池上英樹の日々の切り取ってお伝えしています。