怒りという映画を見た


久々に映画を見た。
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お前は大切なものが多すぎる
本当に大切なものは増えていくんじゃなくて
減っていくんだ
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人を(時には自分自身や身内ですら)信じる事の難しさ、
相手を信じたいと言う願いに反し疑いが生じる時の苦しさ、
愛する者への疑いが無実であった時の取り返しようの無い心の痛み、
信じていた故の裏切られた時の怒りと失望の凄まじさ。
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魂の叫び
そういうものを見ると
自分の中にまた問いかけが始まる

初心に戻って


作曲のメモ。
音符で書いたり、いろんなことして残してるんです。
でも全く何書いてるかわからない(笑)
自作自演の試みは続いていくと思うんだけど、
ホントに毎日毎日心は変わっていく。。
そこで残っていくものを毎日見つめて。
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自作自演


モザイクの次なる公演は河口湖音楽祭。
詳細情報は間もなく出るようです。
3月には自分の作ったものばかりだったけど、
今度は名曲をマリンバで弾くことも取り混ぜて。
あまり暗くないものにしたいと思います(笑)

自作自演ってこんな漢字しかなかった?
他人のふりをすることも自作自演?!

題名のない音楽会


放送今日でしたね。家にはテレビがないので、
まだ放送を見てませんが、楽しかったという声を
たくさんいただきました!

打楽器の世界もリズムだけじゃなく、
様々な可能性にあふれていると
思ってもらえたら嬉しいです。

トスカ


Vissi d’arte, vissi d’amore,
non feci mai male ad anima viva!
Con man furtiva
quante miserie conobbi aiutai.

私は歌に生き 愛に生き
他人を害することなく
困った人がいれば
そっと手を差し伸べてきました

Sempre con fè sincera
la mia preghiera
ai santi tabernacoli salì.
Sempre con fè sincera
diedi fiori agli altar.

常に誠の信仰をもって
私の祈りは聖なる祭壇へ昇り
常に誠の信仰をもって
祭壇へ花を捧げてきました

Nell’ora del dolore
perché, perché, Signore,
perché me ne rimuneri così?

なのにこの苦難の中
なぜ 何故に 主よ
何故このような報いをお与えになるのですか?

Diedi gioielli della Madonna al manto,
e diedi il canto agli astri, al ciel,
che ne ridean più belli.

聖母様の衣に宝石を捧げ
星々と空に歌を捧げ
いっそう美しく輝いた星々

Nell’ora del dolore,
perché, perché, Signore,
ah, perché me ne rimuneri così?

なのにこの苦難の中
なぜ 何故に 主よ
何故このような報いをお与えになるのですか?

むしろミステリー


人は謎に恋をするらしい(笑)
残ったものが本質だそうだ、ワハハ!
どこまでも 追いつめても むなしいだけ
でも真実を 知ることが すべてじゃない
You,liar,liar

人生の目的


今日のキズキ!!!
。。。。。。
人生には、何をするかという考え方と誰とやるかという考え方があります。これは旅も同じでどこへ行くかではなく誰と行くかというものがあります。面白い旅には、もちろん目指したい旅路の方向性というものがあります。みんながどこに行きたいかは理想としている世界があり、自分がもっとも味わいたい場所へ向かって歩みを進めていきます。

しかし時として人間は何か成功を手に入れて結果を出そうとするあまり、行き先ばかりを求めるあまり周りを省みず一人になり孤独になることもあります。誰といくかを思えば自ずから旅の優先順位がプロセスに変わり仲間の存在が何よりも大切であることに気づけるようになるのです。

一生懸命に頑張って手に入れることだけが人生の歓びではなく、現在、いただいている御縁を噛み締めて仲間の存在に気づくこと、その仲間と一緒に生きて暮らしていく歓びに気づくことが人生の醍醐味のように思います。

お釈迦さまの第一の尊者と言われた、アーナンダはあるときお釈迦さまにこう言ったそうです。

「お師匠さま、今日、私はあることで突然、頭の中に閃(ひらめ)きが生じました。私たちは《聖なる道》というのを追い求めているわけですが、もしかしたら、よき友を得るということは《聖なる道》の半ばを手に入れたと言っていいのではないでしょうか」

《聖なる道》というのは、自分の中に悩み、苦しみ、煩悩がなくて、いつも幸せで楽しくて執着がない状態。
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すると釈迦は「アーナンダよ、“良き友”を得られたら、その《聖なる道》の半ばを手に入れたということではない」と言ったんです。

釈迦は言葉を続けて「アーナンダよ、良き友を得ることは《聖なる道》の半ばではなく《聖なる道》のすべてを手に入れることである」。
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同じ価値観をもち、同じ方向に向っている人たちを自分の友人にすることが、実は人生のすべてなんです。

善き仲間に巡り会いその仲間と一緒に人生を歩んでゆくということ。そのこと自体が聖なる道そのものであり、それが人生の幸せを手に入れたことなんだということ。

本来の「友」とは、遊び相手とか遊び仲間というようなものではなくて、人生上の悩み・苦しみ・苦悩・煩悩を少しでも軽減してくれるような“気づき”を教えてくれる人。

それは同時に、自分もそういう存在になることが「よき友」と言われる条件ということでもあります。

そのように教え合うこと、学びや気づきを知らせ合うこと、交歓し合うことが「友」というものなんですね。

またさき


京都でも楽しい音楽会の時間はあっという間。
次のステージに行くのが楽しみになりました!
まだまだ、って嬉しいなー、って気分。 
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技術と芸術性の二つの山に足をまたいで登っていかなければ
という先生の言葉を思い出す。
技術の山を駆け上がっていって、あ、もっと芸術性が欲しいと
思ったら、一度山を下りて、もう一度2つの山に足をかけて
登っていかなければならない、と。
一方だけの山を登るのは早いかもしれないけど。
二つの山に足をかけて登るということは、高くなればなるほど
山の距離も遠くなる、だから股裂けのような状態になる。
一歩上がるのも大変になる、と。

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技術とは何なのか、芸術性とは何なのか、とかは
それぞれのひねくれ度にお任せするしかないけどね。。。。
自分も含めて。

打楽器奏者・マリンバ奏者、パフォーマーとして活動する池上英樹の日々の切り取ってお伝えしています。